エンジニアの副業は週1からでも可能?副業の例や探し方も解説
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フリーランス国際協力師の原貫太です。先日こんなツイートをしたら、大きな反響がありました。
Twitterには『議論ができない人』が多すぎる。
アンチから「顔がキモい」「日本人やめろ」と言われた。僕の意見が気に入らないなら、その意見だけに反対すればいいじゃないか。
なぜ批判の矛先を容姿や人格にまで向けてくる?意見と人格を切り分けられない奴とは、そもそも議論なんて不可能だ。
— 原貫太 / フリーランス国際協力師 (@kantahara) January 8, 2021
原貫太のTwitterアカウントは現在、25000人以上の方にフォローしていただいています。いつもツイートを見てくれる皆さん、ありがとうございます。
Twitterはそのメディアの特性上、フォロワーを増やすためには、ある程度”エッジ”の効いた発信をしなくてはなりません。
つまり、何らかのテーマに関して意見を発信する時、自分の立場を明確にして発信しなければ拡散されることも少ない、ということです。
「AもBもどっちもいいよね」ではなく、「自分はAだと思う。理由は~」と述べなければ、共感や反発が発生しにくいため、リツイートされにくい。
それが、140文字という短い文字数で情報発信をしなくてはならないTwitterというメディアの特性です。
しかし、自分の立場を明確にして発信すれば、その意見に対する賛成と反対の立場も明確になります。
そのようなとき、いわゆる炎上状態に突入するのです。個人的には賛否の割合が6:4、もしくは4:6くらいのとき、炎上しやすいように感じます。
ここで言う炎上とは、いわゆるバカッターと呼ばれる人たちの「炎上」とは全く違います。
アルバイトの大学生が冷蔵庫に入って遊ぶ写真をツイートしたり、下品すぎる飲み会の様子をツイートしたりすることで起きる「炎上」とは違って、あくまでも社会的に議論を呼ぶ炎上、賛否両論を巻き起こす炎上を意味しています。
たとえば実業家の堀江貴文さんのツイートを見ていると、賛否両論を巻き起こすテーマに対して短い言葉でスパッと意見発信をされるので、よく炎上していますよね。
Twitterでの影響力が高まり、僕自身も何度か炎上を経験したことで気がついたことがあります。
それが、冒頭のツイートでも紹介した『意見と人格を切り分けられない人』の存在です。
僕自身、社会問題や政治といった議論を起こしやすいテーマに対して、自分の立場や意見を明確にツイートすることがあります。
自分の発信した意見に対して、冷静に批判をぶつけてくれる人の存在はむしろありがたいです。自分の考えを客観的に見つめ直す機会になるからです。
しかし、何度か炎上を経験するうちに、Twitterには意見を批判するのではなく、容姿や国籍、人格を批判してくる人たちが一定数いることに気がつきました。
過去にはアンチの人から、たとえば
「顔が気持ちわるい」
「どうせ日本人じゃないんだろ?」
「一生アフリカから戻ってくるな」
こういった批判、というよりも誹謗中傷を受けたことがあります。大抵は匿名アカウントから寄せられますね。わざわざ個別でDMを送ってきた人もいます。
端的に、彼らは「意見」と「人格」の切り分けができていません。
僕の意見が気に入らないなら、その意見だけに反対すればいいはず。それなのに、なぜ批判の矛先を容姿や国籍、人格にまで向けてくるのでしょうか。
意見と人格を切り分けられない人とは、同じ土俵に立って議論することは不可能だと感じます(そもそもTwitterというメディアが議論することには向いていませんが)。
「Twitterには意見と人格の切り分けができない人が”多すぎる”」と書きましたが、実際にはこういったアンチの声は目立ちやすいため、Twitterユーザーの全体数からすれば少数派なのかもしれません。
しかし、Twitterに限らずリアルの世界でも、日本人には意見と人格の切り分けを苦手とする人が(相対的に)多いように感じます。
アメリカの大学に留学していた時です。日本の大学とは違って、アメリカの大学では授業中に学生同士でディスカッションをする機会が多いです。
僕が留学していた当時はちょうど2016年の大統領選前だったこともあり、選挙の話で学生同士が意見をぶつけあう光景も目にしていました。
その様子を見ていて、気づいたことがあります。それは、彼らは異なる意見をバチバチと戦わせていても、「その人」自体を否定することはしないのです。
何なら授業中はヒートアップして議論していた学生同士が、授業終了後は仲良く教室を出ていく光景も見ました。
一方の日本はどうでしょうか。意見が違う人に対して、怒ったり、拗ねたりと、感情を持ち込んでしまう人も多いのではないでしょうか。
また、一部の意見が異なるだけなのに、その意見がその人の全体像を表していると捉えてしまい、距離を置いてしまう人も多いのではないでしょうか。
もちろんアメリカにも日本にもさまざまな人がいるため、「アメリカ人は〇〇で、日本人は〇〇」と一概に断定することはできません。
しかし、教育現場一つを見るだけでも、海外と比べて日本ではディスカッションする機会が少ないため、意見と人格の切り分けを苦手とする人が多いように感じます。
仮に僕らがSNS上で誰かから批判をされた時、どのように振舞うべきでしょうか。
まずやるべきなのは、自分の意見が批判されているのか、それとも人格が批判されているのか、切り分けて考えてみることです。
自分の意見を批判してくる人には、耳を傾けましょう。反応するかどうかは自由ですが、自分の発信した意見を客観的な視点から見つめ直す機会になります。
その一方で、人格を批判してくる人の声は無視しましょう。気にする必要はありません。
もちろん人間なら、誰しも人格、容姿、国籍など、自らのアイデンティティに対する批判は気になってしまうかもしれません。
でも、批判や誹謗中傷をしてくるのは他人の課題であり、自分にはどうすることもできません。自分がコントロールするべき課題は、その批判を気にするか、気にしないかです。
自分ではなく、どこかの誰かが炎上している時も同じです。
SNS上の炎上なんて、所詮は一時的な”エンタメ”に過ぎません。時が経てば、誰もが忘れ去ります。
誰かが炎上している時、その意見や考え方には耳を傾け、その人のバックグラウンドには言及しないこと、「まぁこの人は〇〇だから」「どうせ××だろ」と、人格批判をしないことが大切です。
特にビジネスパーソンにとっては、SNSは情報収集をするためにも、自分の考えをアウトプットするためにも、欠かせないツールになりました。
その一方で、批判や誹謗中傷、炎上を目にする機会も多くなり、SNS疲れを感じている人も多いはずです。
SNSを生産的に活用するために、この記事をきっかけにSNSとの向き合い方を考えてみてください。
(執筆:原貫太 提供元:さくマガ)