【社労士解説】ジョブ型雇用時代におけるフリーランスの生存戦略とは?
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テクノロジーの黄金時代だった90年代には、さまざまなWebサイトがうまれました。しかし当時のWebデザイナーは、現代では考えられないようなさまざまな間違いを経験しながら、黎明期のWebサイトを作っていたのです。
本記事では、カオスだった90年代のホームページ制作について解説します。
1995年頃はWebという存在自体が新しく、Webサイトを所有している組織はほとんど存在していませんでした。Webデザイナーの仕事は手探りで、お手本にできるWebサイトもなく、理想的なWebサイトの構成要素を教えてくれる人もいません。
前例がないことにはメリットもありました。あらゆるデザインやレイアウトを自由に試すことができ、独自のスタイルを確立するチャンスもあったのです。
しかし、もちろんデメリットもありました。アクセシビリティが考慮されておらず、色のコントラストや文字の大きさ、アニメーションなどに問題がある、見づらいWebサイトが数多くありました。
当時のWebデザイナーは、失敗を繰り返して学びながら、自分たちのスタイルでWebサイトを作っていたのです。
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コードエディタからプロトタイピングまで、現代のWeb制作はさまざまなツールに支えられています。
しかし黎明期のWebデザイナーには、現代のような便利なツールはありませんでした。Photoshopもバージョン5.5まで「Web用に保存」という選択肢はなく、Windowsのメモ帳とペイントツールを活用していました。
もちろん、コードヒントのような便利な機能もありません。プロジェクトにクイックスタートを提供するフレームワークもなかったため、コーディングはすべて手作業です。
HTMLを学ぶためのリファレンスは、一握りの分厚い本のみ。多くの人は、他のWebサイトのソースコードを見て学びました。まだCSSやJavaScriptが登場する前のことです。
WordPressのようなコンテンツ管理システム(CMS)がうまれる前、すべてのWebページは個別のHTMLファイルでした。Webサイトのナビゲーションはファイルへのリンクで構成されており、ページコンテンツ内にもリンクがありました。
大規模なWebサイトの構造は、非常に複雑です。たとえば当時の新聞社のWebサイトであっても、ページ数は1000以上あります。SSIの登場前に大量のリンクを機能させるのは至難の業で、Webサイト上のすべてのファイルに同じ編集をするケースもありました。
Webサイトのファイル構造も1から構築するため、一貫したファイルの場所と名前のルールが不可欠です。当時のWebデザイナーは、将来の成長を見据えて綿密な計画を練り、失敗を繰り返して格闘しながら、必死でコンテンツを管理していました。
90年代はテクノロジーにとって変革の時代でした。コンピューターが日々世界を変えているように感じられる時代です。
しかし発展途上のテクノロジーには、限界もありました。当時のコンピューターは処理能力が低く、グラフィックも貧弱で、インターネットの速度も低速です。
ユーザー側にも複雑なWebサイトを閲覧するツールがなかったため、Webサイトはシンプルでした。28.8kb/秒のモデムを使うと、接続が安定していても1MBのファイルをダウンロードするのに5分近くかかります。
テクノロジーに制限がある環境では、大きな画像は使えません。音声や動画コンテンツは高度に圧縮する必要があり、標準的なフォーマットがないためFlashやReal Playerのようなサードパーティーのソフトウェアが必要でした。
ダイヤルアップ接続を経験したことがない世代の方は、以下の動画で疑似体験してみましょう。
90年代にWebサイトを作っていた人たちは、いわゆるギークでした。当時の実験的な試みが、現代のような大規模なインフラにつながるとは、想像できなかったでしょう。
自由な可能性に満ちていた90年代には、当時ならではの魅力がありました。技術的に優れている現代のWebデザイナーも、90年代のWebデザイナーの姿勢に学ぶところがあるかもしれません。
(執筆:Eric Karkovack 翻訳:Asuka Nakajima 編集:齊藤颯人 提供元:speckyboy)
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