エンジニアの副業は週1からでも可能?副業の例や探し方も解説
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目の前でジュリーこと沢田研二が『TOKIO』を熱唱していた。しかし、ここはさいたまスーパーアリーナではなく、雑司が谷カラオケボックスで、歌っているのはジュリーではなく、ノマドワーカーの田中さん(仮)だった。
田中さんは毎日特殊メイクで別人に成り代わってノマドワークをしているのだった。
「ある大物役者が言っていたんですよ。複数の人生を演じられる役者が楽しくって仕方ないって」
ドリンクバーから取ってきたメロンソーダを飲みながら田中さんはそう言う。右手には電子タバコを握っていた。田中さんが一服するのを待ってから私は聞いた。
「大物役者とは、誰ですか」
田中さんは眉をしかめ、もう一度電子タバコを吸い、ゆっくりと吐き出したあとに言った。
「それは忘れたけど」
カラオケボックスに緊張感が走った。ジュリーの顔で言われると、年長者に説教された気分になるが、実際の田中さんは29歳なのだ。素顔がうつっている写真を見せてもらったが、普段の顔はX JAPANのYOSHIKIによく似ていた。
田中さんは朝起きると、鏡の前に座り、誰になるのかを考えるという。この日、ジュリーにしたのは「ニュースで見たから」。
そして街に繰り出し、スターバックスで仕事をするのだ。別人になって働くのは「毎日新鮮な気持ちで仕事ができる」という。
有名人のふりをしていて、街なかで声をかけられたときは、にこやかに写真撮影などに応じるとのこと。「本人のイメージを下げると悪いから」。
毎日誰かに成り代わることで、気分は一新され、以前よりも仕事の効率はとてもあがったそうだ。
はたして特殊メイクにそんな効果はあるのか? この裏付けを取るために、私はカリフォルニアに飛び、心理学の権威であるスティーブン・ホイ博士(仮名)に聞いた。
博士は私を研究室に快く迎え入れてくれた。私がずばり質問すると、博士は頬っぺたを右手でさわり、しばし思案する。「Ummm……」という声が漏れる。間違いがないよう、どう答えるかを慎重に考えているようだった。そうして少なくない時間が流れたあと、博士はゆっくりと口を開いた。
「さっぱりわからない」
その後は私が英語があまりできないということもあって、会話はちっとも盛り上がらず、私は逃げるようにして日本へ帰った。
話をインタビュー当日に戻す。カラオケボックスで一通り質問をし終わったあと、「今日はありがとうございました」とお礼を言った。
すると、田中さんは「ちょっとトイレに行ってきます」と席を立ち上がったのだ。これは私が会計を済ましたら出てくるということだろうか。もちろん、私は最初から払う気だったが、この行動にはちょっと面を食らった。私はまぁ、いいかと思って伝票を持って先にレジに向かった。
「お待たせしました」
戻ってきた田中さんに、私はさらに面食らった。機関車トーマスになっていたからだ。「帰るときはこうしているんです」。なるほど、トーマスの気分になって帰るということか。
「会社を辞めてレールから外れちゃったんで、こういうときぐらいは、ね」
そう言う田中さんは森本レオの声真似をしていたので、「それは違うだろ」と思った。
その後、田中さんにこの記事の確認をしてもらおうとメールすると、「実はもう特殊メイクはやめたんです」と打ち明けられた。理由は手間がかかるからだそうだ。
やめてしまわれると、この記事は何の意味もなくなるのだが、そういう男もいたのだ、という記録として残しておく。
世の中にはさまざまな働き方がある。この連載ではハイパーメディアジャーナリスト・菊池良が目撃した多様なノマドワーカーの世界を紹介していきたい。
企画・文:菊池良
イラスト:見る目なし