菊池良が見た、ハイパーノマドワーカー #04 – スパゲッティに巻かれている男【フェイク・ノンフィクション】

スパゲッティに巻かれる男

「タ、ス、ケ、テ……」

今、私の目の前には窮地に立たされ、助けを懇願している人がいる。

今回紹介するノマドワーカーはタナカさん(仮名、28歳)。彼は制作会社に勤めていたが、1年前にWebデザイナーとして独立し、ノマドワークを仕事のスタイルとして選んだ。会社員時代より実働時間は減り、年収は増えたという。独立に成功したタイプだと言っていいだろう。

スパゲッティに巻かれる男

そんな彼は今、身体に絡みついたスパゲッティの麺に締め付けられ、身体をねじ切られようとしている。

私は呆然としていた。このまま取材対象者の彼が、スパゲッティと同化するのを見ていなきゃいけないのか。もちろん、彼を取材し始めたときは、スパゲッティを身体に巻き付けていなかった。なぜこんなことになってしまったかを説明するには、時計の針を少し戻さないといけない。

 

タナカさんが独立した経緯は、少々特殊だった。彼には欠かせない日課があったのだ。それは毎日スパゲッティを食べること。スパゲッティはもともとイタリア料理だが、現代では多種多様な具材と絡めて料理される。そのバラエティに富んだ雑多性を楽しんでいた。

それは最初、毎日いろんなレストランを訪れることで行われた。事前にどんな店があるのか調べて、夜になると通っていた。そして、その感想をブログにまとめて公開していたのだ。

【至高のしゃぶしゃぶスパゲッティ】 ★★★★☆
芯を一本残したゆで方をアルデンテというが、しゃぶしゃぶの丁度良いゆで加減はなんて言うのだろうか。
浅草の老舗しゃぶしゃぶ屋がパスタも一緒に出すというので、興味本位で行ってみた。ここの若旦那はもともとイタリアで料理修業をしていたということで、その経験を活かして趣向を凝らしたのだという。
そんな凝り方ありなのかな、と半信半疑になりながら食べてみると、これがうまい。何せいい肉を使っている。思わずぱくぱくと肉を口に運んで、食べきってしまった。ああ、パスタを入れるタイミングを逃してしまった。まぁ、それもしょうがない。人生ってそういうこともある。
携帯電話にメールが届いた。月額課金制の動画サイトの引き落としをしたという報告メールだ。1年ほど前から引き落とされているのだが、ほとんど見ていない。解約しようとしたのだけど、ログインIDがわからない。いったいどうしたものか。人生ってそういうこともある。
肉がおいしかったので星四つ。減点ポイントは、暖房が効きすぎていて暑かったこと。

ブログはスパゲッティ好きの間で話題になり、着実にアクセス数を伸ばしていった。1年、2年と粘り強くつづけることで、月間20万PVを記録するようになったのだ。彼は趣味の世界を謳歌していた。

しかし、少しずつフラストレーションが溜まっていた。どういうことだろうか? 取材したときに彼はこう言っていた。

「どれも美味しかったことは美味しかったんです。しかし、何かが今一つ欠けていた。自分が思う究極のスパゲッティと違う気がして。だから、レストラン巡りに拍車がかかったんですが」

 

ある日のことだった。彼は駒込にある「ナポリタン鷹」に行っていた。そこは和歌山県産のケチャップをたっぷり使うことが売りの店だった。そこには彼のほかに、50代半ばぐらいの男が客としていたという。そして、その男が店員に対して言ったのだ。

「シェフを呼んでくれ」

ヤマダさんは思わず箸を止め、聞き耳をたてた(彼はフォークの扱いが苦手で、スパゲッティはすべて箸で食べていた)。こんなドラマみたいなシチュエーションに初めて立ち会ったからだ。

しばらくして店のシェフがやってきて、男に挨拶をした。すると、男はこう言ったのだ。

「こんなのは本場のナポリタンではない。食えたものじゃない」

そして、ナプキンで口を拭くと、それをシェフに投げつけてこう叫んだのだ。

「おまえはナポリに行ったことがあるのか!」

シェフが「いえ……」と口ごもると、さらにこう叫んだ。

「そうだろう。この無礼者が。ナポリの人々に謝れ!」

ヤマダさんの身体に電流が走った。そのときのことを振り返って、彼はこう言っている。

「ナポリタンは明治時代になってから、日本で作られた和洋折衷の和風洋食です。だから、本場もなにもあったものじゃない。ナポリの人たちも、ナポリタンを食べたことがないので、謝られても困るはずです」

そこではたと気づいたという。自分は男のように、「本場のナポリタン」を求めていたのではないか。つまり、この世に存在しないものを追い求めていたのではないか、と思い立ったという。

「そうだとすると、レストラン巡りをしている場合ではありません。ぼくが追い求めてる理想のスパゲッティは、この世にはないのです。だったら、自分で作るしかありません」

そして、ヤマダさんはその次の日に会社へ辞表を提出した。ひたすら「自炊」をして、スパゲッティを作ることにしたのだ。それから彼のやっていたブログは様変わりした。食べ歩きから、創作スパゲッティを披露するブログになったのだ。

「けど、ぜんぜんできないんですよねえ。やればやるほど、遠ざかっている気がします。スパゲッティがこんなに奥深いものだとは思わなかった」

自嘲気味にヤマダさんは言った。私は「頑張ってください」と激励し、取材を終えたのだった。それが2週間前のことで、今年初めての取材だった。

(ここでふと気づいたのだが、ヤマダさんは家で仕事をしているので、ノマドワーカーではない)

 

事態の急転が告げられたのは、ツイッターだった。ヤマダさんは取材後、私のアカウントをフォローしたのだ。やれやれ。こういうのって困るんだよなぁ。確かに一度取材したけれど、たった小一時間ほど話しただけだし、でもフォロー返ししないわけにもいかないからなぁ。

そんなことを思いながらヤマダさんのアカウントを開いてみると、彼の最新の投稿が表示された。そこには部屋中を覆い尽くしているスパゲッティの写真がアップされていた。まるで触手のようだった。思わずゾッとした。見てはいけないものを見てしまった気がしたのだ。

そして、直感した。ヤマダさんは私にこれを見てほしくてフォローしたのだ。私はすぐにDMした。これって今すぐ行けば見せてもらえますか。しかし、返事はこない。ええい、行ってしまえ。もらった名刺に住所は書いてある。

書かれていた住所に行ってみると、ごく普通のマンションがあった、集合ポストで名字を確認する。あった。エレベーターをあがって目当ての部屋番号を探す。あ!

スパゲッティに巻かれる男

身体中をスパゲッティに巻き付かれたヤマダさんがいた。

「タ、ス、ケ、テ……」

息も切れ切れにそう言う。もうほとんど身体がスパゲッティに同化し、意識も遠のいているようだった。

「これはもう手遅れですねえ」

白髪の男性がそう言う。あなたは!?

「医者です」

なるほど。医学の知見ね。その隣では女性がうずくまり、号泣していた。あなたは!?

「フィアンセです」

なるほどね。そりゃ、婚約者がこんなことになったら泣くかもしれない。しかし、私は疑問に思った。まだ諦めるには早すぎるんじゃないか? ええい、こんなスパゲッティ、食べてしまえばいいのだよ。私はすぐさまこうツイートした。

【悲報】スパゲッティを作り過ぎた。食べたい人は今すぐきてください。

ツイートはみるみる伝播していき、それを見た人々がマンションに集まりだした。そして、一斉にスパゲッティを食べ始めた。まるで大食い大会のようだった。いや、もしかしたら本当に大食い大会だったのかもしれない。

スパゲッティに埋もれようとしていたヤマダさんは助け出され、応急措置をほどこされて意識を取り戻したのだった。

ヤマダさんの部屋は壊滅状態になったけど、スパゲッティと同化して、スパゲッティ人間になるよりはマシだろう。私は一人のノマドワーカーを、スパゲッティ人間になることから救い出したのだ(しかし、前述したように、ヤマダさんはノマドワーカーではなかった)。

 

世の中にはさまざまな働き方がある。この連載ではハイパーメディアジャーナリスト・菊池良が目撃した多様なノマドワーカーの世界を紹介していきたい。

 

企画・文:菊池良

イラスト:見る目なし

 

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