東京にしがみつくのを辞めたら、仕事も売上も増えた。ベルリン在住イラストレーターの移住体験

突然ですがみなさん、住む場所ってどうやって決めていますか?

ぼくがこの問いと初めて向き合ったのは、いまから約3年前。当時は結婚して半年くらいで、妻はお腹に子供を宿していました。それまで住んでいた新宿区のワンルームでは手狭になるということで、引っ越し先を検討することに。

 

ところが、いざ物件探しを始めて気づいたのは、自分たちの手には余るほどの自由があるということ。

勤めていた会社を辞めてフリーライターとして活動し始めたぼくに、毎日通うオフィスはありません。一方、会社員ではあるものの、産休に入った妻にもしばらくは出社の必要がない。極論すると、世界中のどこに住んでも構わない状況にあったのです。

 

ベルリン

ぼくらはそれまで、住む場所を決める際には必ず働く場所からの逆算を強いられてきました。その制限が初めて完全に取り払われた。ああ、なんたる自由。フリーランス万歳。

ところが、完全なる自由を前にすると逆に困ってしまうのが人間の“さが”。急に放り出されたぼくらが直面したのが冒頭の問いだったというわけです。

 

こんな相談を引っさげて今回お話を伺ったのは、ベルリン在住のイラストレーター・漫画家の高田ゲンキさん。

高田ゲンキ

2004年にフリーランスとして活動を始めた高田さんは、フルデジタルの制作環境を活かして場所や業界慣習にとらわれないワークスタイルを確立。同じくイラストレーターの奥さまとともに2012年にドイツのベルリンに渡り、このたび永住権も取得しています。

 

 

「働く」と「住む」には深い関係がありますが、これまでのように「働く」が一方的に「住む」を規定するのではなく、「住む」が「働く」に作用することだってあるはずです。高田さんはどのようにして住む場所を決めたのか。移住によって高田さんの「働く」はどう変化していったのでしょうか。

高田ゲンキさん
高田ゲンキさん

ベルリン在住のイラストレーター・漫画家。1976年生、神奈川出身。2004年にフリーランスとして活動を開始し、2012年に夫婦でドイツ移住。仕事術、ライフハック術、人生論などをブログやSNSでも発信中。一児の父。著作に『【マンガ】フリーランスで行こう! 会社に頼らない、新しい「働き方」』(インプレス)、『世界一やさしいフリーランスの教科書 1年生』(ソーテック社)。

聞き手:鈴木陸夫
聞き手:鈴木陸夫

新聞記者や事業会社のオウンドメディアの編集者、働いたり働かなかったりしていた時期を経て、2017年ごろからフリーライターに。いつかは移住したいと思いつつも、地元神奈川で川沿いの心地よい暮らしの引力に引かれて、踏み切れずにいる。妻は都心で働く会社員。息子は3歳。

 

やろうと思えば、すぐにでも移住できることに気づいた

鈴木:神奈川でフリーランスとして順調に仕事を増やしていた高田さん夫妻は、なぜ移住することに?

高田:2007年に結婚したころから妻とは漠然と「いつかは海外に住みたいね」と話していました。日本のことが嫌いなわけではないけれど、ぼくは学校でいじめにあったりして、昔から日本社会に馴染めないところがあったんです。フリーランスになったのも結局はそこ。会社にいると周りに合わせないといけないじゃないですか。それを自然と楽しめる人もいるけれど、自分はそうではなかったから。ただ、移住するにしても、もう少し先の話だと思っていました。

 

ベルリン2

高田:状況が変わったのは、2011年に東日本大震災が起きたからです。震災直後は、もう一回大きな地震が来るのかどうなのか、放射能被害がどの程度のものなのか、全容が見えない状況。最悪を想定すれば、できるだけ関東から離れたほうがいいだろう、と。

会社員だったらそう簡単ではないけれど、自分たちは二人ともフリーランス。ここで初めて、やろうと思えばいますぐにでも移住できることに気がついたんです。そんな時に縁あって大阪の物件を紹介してもらえたので、ためらうことなく引っ越しました。

鈴木:それまでの仕事の発注元は東京が主ですよね。東京から物理的に離れることは問題にならなかった?

高田:まったく問題にならないわけではないです。クライアントに「明日来てくれ」と言われて、1時間で駆けつけられる距離に住んでいるからこそもらえている仕事もあったので。「大阪に行ったら仕事がなくなるぞ」と言って止める人もたくさんいました。だから、ある程度は覚悟の上でした。

でも、結果としては自分の仕事に関してはそれほど変化がありませんでした。どちらかといえば、影響が大きかったのは妻のほうで。

同じイラストレーターといっても、ぼくの仕事がIT関係の書籍の表紙や挿画など説明的なものが中心だったのに対して、妻は小説の表紙などの文芸系や大きな広告代理店の広告イラストがメインでした。このうち影響があったのは代理店の仕事ですね。広告仕事はギャラはいいですが、代理店の人ってやたらと会いたがるじゃないですか。

鈴木:ああ、わかります(笑)。

高田:東京を離れたことで、そういうクライアントとの仕事は減りました。ただ、考え方として、せっかくフリーランスでやっているのに、同じものにしがみつかないとやっていけないのはどうなのか。ぼくも妻も「なくなったらその時だ」というくらいの受け止め方でした。

それに、東京から離れることは決してデメリットばかりではありません。移った先で営業したり、新たにつながった人が紹介してくれたりして、新規のクライアントも開拓できました。一方では引き続き仕事をくれる東京のクライアントもいた。大阪へ行ったことを面白がって、会いに来る口実に仕事をくれる人もいました。

結果として、売上や仕事量はむしろ増えたんです。だから、世間で言われているほど、東京から離れることは致命的ではないんじゃないかと。

でも大阪には結局、半年くらいしかいなかったんですよ。

鈴木:どうしてですか?

高田:3, 4か月暮らしてみたら、いま話したような経緯で東京からも大阪からも仕事がもらえた。 大阪でイケるということは、海外でもイケるということじゃないですか。だって、「来い」と言われて行けないのは大阪も海外も一緒だから。あとは時差があるかないかの違いだけ。

仮に行って失敗したとしても、大阪にならいつでも帰ってこられる。当時のぼくらはまだ子供がいなかったし、「むしろこのタイミングで勢いで行っちゃったほうがよくない?」と考えるようになりました。

フリーランス+海外=案外自由じゃない!

鈴木:それでベルリンへ?

高田:いや、ベルリンという選択肢は実はこの時点でまったく頭にありませんでした。当時は英語の勉強をそこそこ頑張っていたので、英語圏の国がいいと思って。ただ、アメリカ、イギリスは移民は多いけれども、すでにビザの取得がめちゃくちゃ厳しいことがわかっていた。加えてぼくらは暑いところが苦手。そこで白羽の矢を立てたのがカナダでした。

ビザの種類にもよりますが、カナダに移住するには日本国内の大使館で申請し、それを受け取ってから渡るのが一般的でした。それで、一時的に大使館に近い神奈川に戻り、仕事をしながらビザが発行されるのを待つことにしたんです。

ところが、これは後からわかったのですが、カナダのフリーランスのビザは枠として一応存在するものの、まったく機能していなかった。「申請を受領しました」という最初の返事こそ来ましたが、その後は数か月経っても音沙汰がなく……。

 

高田ゲンキ2

鈴木:どういうことですか?

高田:4か月ほど経ったころに現地のビザコンサルタントに問い合わせたところ、ぼくらが申請していたのは世界的に有名な、年間何億円も稼ぐようなアーティストのための特別枠なんだ、と。ないと困るから存在はするものの、WEBサイトに書いてある要件を満たしているくらいではダメだとわかったんです。

結局、現地で会社員をやるか、起業するか、学生になるかすればビザの枠が得られて、3年経てば永住権が取れたりもするけれど、フリーランスとして日本との仕事を維持しながらカナダに行くのは、思っていた以上に難しいことだった。これが1年粘った末に突きつけられた現実でした。

その間もひたすら仕事をして貯金して、必要なものを買い、いらないものを捨てて……と準備を進めていたのに、全部ダメ。それはもう、二人でドーンと落ち込みました。

鈴木:なるほど。ぼくがこのテーマをよく考えるようになったのは「フリーランスにとって住む場所はあまりにも自由だな」と思ったからで。自由すぎて、「お前は結局なにを大切にしたいのか」と突きつけられるな、と。でも「フリーランス+海外」となると、いうほど自由ではないんですね。

高田:そうなんです。国内であれば自由。でも、海外となるとそうはいかない。

これは、決してフリーランスが嫌がられているということではないんです。「自分の作業環境さえ用意できれば、どこでも仕事ができちゃう」というスタイル自体がわりと新しいから、ビザなどのシステムがそこにキャッチアップできてないということで。長期ビザは依然として学生とか現地で就職する人のためのものであり、「それ以外はなにか怪しいやつだ」みたいなままなんですよ。

鈴木:じゃあ、今後は変わっていく可能性も?

高田:変わっていくと思いますよ。それこそベルリンはすでにフリーランスやクリエーターの存在を認識して、優遇とまでは言わないまでも「それもありかな」という感じになっている。徐々に変わってきてはいると思います。

一方で、「ここは行きやすいぞ」と認識されると、世界中からフリーランスやクリエーターが押し寄せるじゃないですか。ベルリンも依然として文化や空気的には暮らしやすいんですが、人が増えたことで住宅難や物価の高騰といったことが起きている。手続き的なハードルも以前より高く設定されるようになり、かつてほど気軽には移住先として選べなくなっています。

鈴木:でも、少なくとも高田さんたちが移住した時はもっといい条件だった。

高田:はい。カナダがダメになって相当落ち込んだぼくらでしたが、それでも諦めきれずにポチポチと調べ続けていました。その中でたまたま出てきたのがベルリンの情報で。誰かが書いた個人ブログだったと思います。それまで英語圏以外をリサーチしてこなかったから目に入らなかったけれど、どうもドイツはイケるらしいぞ、と。

ドイツには「フリーランスビザ」があるんですが、その中でもさらに特別な「アーティストビザ」というものがあって。絵を描く人は勝手に絵を描いて勝手に売りに行くから、現地の雇用や市場を荒らさない。しかも、ドイツはアートへのリスペクトがあり、うまくするとアーティストは街の文化の向上に貢献してくれると考えられていて。「やれるならやってみな」みたいな感じで、わりとゆるく申請がおりるんです。

ドイツは最初の3か月はビザなしで滞在できるので、その間に移民局の予約を取り、書類の準備をして、3か月以内に無事ビザをもらえれば滞在期間を延長できる。調べていくとこうしたことがわかったので、2012年の12月に一か八かで海を渡りました。そうしたら嘘みたいにスルスルッとうまくいっちゃって。カナダの時にはあれだけ苦労したのに。ドッキリじゃないかと疑ったくらいです。

多様性の街に触れ、アウトプットが自然と変わった

ベルリン3

鈴木:高田さんはそれまでヨーロッパに来たことさえなかったそうですね。不安はなかったんですか?

高田:もちろんないと言ったら嘘になりますよ。でも、別に転職するわけでもないから、合わなければ帰ればいいだけの話。その時は行きたい気持ちのほうが強かったので。

鈴木:しばらくは誰も知っている人がいない、夫婦二人だけの孤独な時間を過ごしたとか。

高田:そう。でも、まったく一人ではない分、案外気は楽でした。

それに、ぼくはもともと一人が好きだったので。日本にいると、人と関わらない時間って望んでもなかなか作れないじゃないですか。そういう生活にちょっと疲れていたところもあったんです。だから「これはこれでいいね」と受け止められました。それまで生きてきた場所と完全に遮断されて、誰にも認識されない世界を二人だけで生きている。寂しいというよりは新鮮な経験でしたね。

鈴木:お仕事の面ではどうだったんですか?

高田:ぼくは大阪の時とほぼ一緒ですね。一部継続できなかった案件もありましたが、全体からすれば5%くらい。そういう仕事は日本にいる若いクリエーターに引き継いで。

本筋からは少しズレますけど、既存の仕事をずっとやっていくのは安定という意味ではいいけれど、そればっかりだとフリーランスの世代交代が進まないじゃないですか。どんどん若い世代に引き継ぐのも必要なことではないかと思っていて。

 

ベルリン4

高田:ぼくは当時35, 6歳くらいで、フリーランスになって7, 8年目。まあまあ安定してきていた時期でしたが、常々「安定は敵」だと思っていました。それを維持してあぐらをかくよりは、環境を変えたい、と。そうしないと成長できないという思いがありました。

事前に心配していたほどは仕事も減らなかったですし、しばらくするとむしろ忙しくなりました。それはおそらくベルリンに来たからではなく、それまでやってきた仕事が仕事を呼び、膨らむフェーズに入っていたということだと思います。忙しすぎて、ベルリンの街を散策したくてもできないくらい。もちろん、贅沢な悩みというのは重々承知していますけど。

鈴木:大阪の時のように、現地で新しくお仕事をもらうことも?

高田:実はその割合はほとんどなくて、9割が日本の仕事です。こう言うと「せっかくドイツへ行ったんだからヨーロッパの仕事をしろよ」と言うお節介な人もいるんですが、そんなことを言うのは日本人だけですよ。ぼくは「関係ない」と思っています。

と言っても、まったく興味がないわけでもありません。ぼくがベルリンを「いいな」と思った理由の一つは、スタートアップが盛んなこと。ベルリンはヨーロッパにおけるシリコンバレーのような位置付けで、世界中からITスタートアップ、起業家が集まってきています。そういうコミュニティにはよく顔を出しましたし、そこで知り合った人から仕事をもらったり、一緒になにかしたりもしてきました。スタートアップなのでギャラは安いことがほとんどですが、そこは日本の仕事で食べながら。

一方で奥さんは「こちらにいるから」というのをもっと意識したタイプ。Adobeのポートフォリオサイト「Behance」経由で海外の人から注目されて、アメリカやイギリスからの大きな仕事をバンバン受けるようになりました。厳密に言えば「ドイツならでは」の仕事ではないですが、こちらに来ていなかったら英語でポートフォリオを作って……という発想にはならなかったと思うので。

鈴木:日本にいると、どうしてもその枠の中で発想してしまいますもんね。

 

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高田:あとは、イラストレーターとしてのもっとベースの部分で大きな変化がありました。ぼくらの仕事は絵を描くことですが、自分が見たもの・聞いたものがアウトプットに与える影響は大きい。その点、ヨーロッパと日本とでは身の回りの景色が全然違うじゃないですか。

とくに、ベルリンはただキレイなだけじゃなくて、小汚いところも含めていろいろなものが混ざり合っていて、とにかく刺激的なんです。ドイツ人だけでなくいろいろな人種がいて、さまざまな言葉を喋っている。場所によってはドイツ語より英語が聞こえてきたり。世界で一番大きなトルコ人コミュニティもあって、ケバブがそりゃあうまいんですよ。

移住して2, 3年経ったときの絵とそれ以前のものを比べると、色づかいや線の描き方が明らかに変わっていると感じます。ぼくはなによりもこの多様性を求めてベルリンへやってきた。そこに満足しているんです。

海外移住もフリーランスも、逆境に燃えるタイプにこそ向いている

ベルリン6

鈴木:高田さんのケースは条件が揃っていたとも思うんです。奥さんも海外志向。お子さんはまだいなかった。なによりイラストレーターというスキルが強力です。ぼくがよく行く東南アジアのゲストハウスにも1年以上滞在しているエンジニアがたくさんいて、「なんて羨ましい奴らだ」と思っていたけれど。

高田:そこはおっしゃる通りですね。イラストって成果物としては写真と似ているけれど、描くためにどこかへ行く必要がないので。ワークフローの面ではむしろプログラマーに近いかもしれません。ノンバーバルで、日本を出ても関係がない。その意味では、ぼくのやってきたことはすべてのフリーランスに再現性があるわけではない。

でも、一方ではぼくと同じかそれ以上に条件が揃っていて、「やりたい」とも思っているのにやらない人がたくさんいるのも事実。ぼくが発信することには、そういう人の背中を押す意義があるだろうと思っているし、仮に条件が揃っていなくても、ぼくというサンプルがあることで「どう補えば自分にもできるのか」と発想できるじゃないですか。

ぼくだって最初から完璧に条件が揃っていたわけではありません。そもそも機材的にイラストレーターは、ライターやプログラマーよりずっと大変ですよ。MacBook Proを持って、ペンタブレットを持って、ぼくの場合はさらに外付けハードディスクも持たないといけない。

2010年前後にラップトップの性能が劇的に上がったことで、イラストレーターのデジタルノマド化は急に現実味を帯びたんです。でも、実際にやろうという人はほとんどいなかった。ぼくには、みんなが「やれない」と思っている中で、それでもやれると証明したくてやってきたところがあります。

鈴木:本当にやりたいなら、すぐにやれない理由を考えるのではなく、という話ですね。

高田:いまでこそ「うまくいってる人」と見られることが増えましたが、ぼくは美大もイラストの専門学校も出ていない。Illustrator、Photoshopも全部独学です。スタートラインはかなりのハンデがあった。でも、むしろ揃っていない条件をうまくハックすることに生きがいを感じているところがあって。

 

高田ゲンキ スケボー

▲最近はもっぱらスケボーで街中を移動しているという高田さん

 

高田:いまだってそうで、育児をしながら、週3でドイツ語学校に通いながら仕事をするのは、結構大変なんですよ。でも、その中でどうにかやってやろうと考えるのが自分。全部条件が揃った中で稼げたって、大してかっこよくないじゃないですか。逆境になればなるほど楽しくなる人こそ、フリーランスにも海外移住にも向いているし、楽しめるんじゃないかな。

鈴木:うちはそもそも奥さんが海外移住を特別望んでないのも大きいんですけど、それも言い訳かなあ。

高田:これは言うは易しで、絶対できますって話ではないですけど、おそらくめっちゃ稼いだら状況は変わるんですよ。移住となると「こっちを捨てて」となるから、しがみつきたい人からすると嫌。でも、拠点をもう一個作って、そっちにも生活できる環境を整えておく。ちょっと余裕ができてちょこちょこ行き来していたら、「ああ、こっちもいいじゃん」となるかもしれない。

鈴木:ああ、奥さんからはまさにそれをやれと言われています。「お前が先に行け」と。

高田:ははは。でも「やれ」と言ってくれるだけいい奥さんじゃないですか。実際にやるのはめちゃめちゃ大変だと思いますけど、逆に「いいね、いいね」となんでも賛同してくれるパートナーだと、この時代、稼ぐモチベーションってあんまり湧かなくないですか?

鈴木:おっしゃる通りですね。2020年はいっちょ、稼ぐことに本気出してみるかなあ(笑)。

(執筆:鈴木陸夫 編集:Huuuu 写真提供(書影写真は除く):高田ゲンキ・高田美穂子)

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