2025まで働けますか? フリーランスの進路相談室」では、これまで11回にわたって、人生の先輩たちに進路相談をしてきました。

などなど、いろんな角度から相談ができた……と思うのだけれど、なにかが足りない気もする。

そう、これらすべて、個人の“ミクロな視点”なんです。

 

「2025年までフリーランスとしていかに生きていくか」を考えるうえで、もう少し俯瞰した「フリーランスをとりまく社会のしくみ」という “マクロな視点” が欠かせないんじゃないか。

特に、新型コロナウイルス感染症の影響で社会がゆらぐなかで、これからの社会の見通しをもとにキャリアを考える重要性は高まっているように思います。

 

そう考えて会いに行ったのは、歴史社会学者の小熊英二(おぐま・えいじ)さん。

小熊英二

小熊さんは、膨大な資料をもとに日本社会の構造や意識の変化について研究してきた方。

昨年に発売された『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』では、新卒一括採用や年功序列制度など、じつは世界的に見ても特殊な「日本の雇用」の成り立ちを明らかにしました。

 

そんな小熊さんに尋ねたのは、フリーランスをとりまく「社会のしくみ」と、そうした「しくみ」のなかでフリーランスはどう生きていくべきか、という問い。

大企業に勤める人々を中心につくられてきたしくみが、新型コロナウイルス感染症の影響を受けても根強く存在し続けるとしたら、フリーランスはどのように生き残っていくことができるのか。その鍵は「誰とどういう関係を築くか」という点にあるということが、進路相談を通じて見えてきました。

 

それでは、どうぞ、進路相談室へ。

フリーランス的な人は、かつての日本にもいた

山中:今日は、フリーランスをとりまく「社会のしくみ」について伺えればと思っています。まず日本には、戦前からフリーランス的な働き方をする人がいたんでしょうか?

小熊:そもそも、なにをもって「フリーランス」というのか、定義が難しいですよね。

根本的なことを話すと、人間が仕事をする上での関係は、「雇用」と「請負」に分かれます。つまり、固定された関係の中で仕事をする人、単発の仕事を請け負う人がいる。

雇用と請負

山中:なるほど。たとえば同じ工場でも「雇用」されている社員と、「請負」で仕事をしている日雇い労働者がいますね。

小熊:そうですね。広義の「フリーランス」は後者に属するもので、「あるユニット(かたまり)になった仕事を請け負ってる人たち」ということになるでしょう。その形態が個人事業主なのか、派遣なのかはさまざまだと思いますけれど。

そうした「雇用」も「請負」も資本主義が始まる前からありましたけど、賃金労働の起源となるのは後者、つまり「請負」だと言われることが多いです。

山中:そうなんですか?

小熊英二 横向き

小熊:ええ。たとえばヨーロッパでは、馬の鞍を作る親方が製作を請け負って、それを職人を集めた工房でつくって謝礼をうけとる、という形が資本主義以前からありました。いわゆる「ギルド」と呼ばれるものです。

日本ではヨーロッパほどギルドが一般的ではなかったものの、「請負」で働く人は戦前から存在していました。それが、現代のフリーランスという働き方に直結すると言い切るのは難しいですけども。

山中:戦前の「請負」で働いていた人とは?

小熊:たとえば戦前の会社では、「社員」と呼ばれて会社に長期雇用されているのは、基本的には中等教育以上を受けたホワイトカラーの人たち。

一方で大企業でも、中等教育を受けていないブルーカラーの工員は、会社にいても「社員」とは呼ばれなかった。時期や職場によっても違いますが、彼らの働き方は、いまの「請負」に近いものも多かったんです。

山中:いまの派遣社員みたいな感じですね。

小熊:たとえば会社が、親方に「この仕事をやってくれ」と依頼し、親方が5人とか20人とかの職工を集めてきて作業をする。職工にとって親方は絶対的権威で、会社からもらったお金をどう配分するかは親方次第でした。

山中:現代の「フリーランスが集まったギルド」に近いかたちでしょうか。

小熊:そこはなかなか微妙かなとも思いますが、あえて似ていそうな点を挙げると、職工のなかにも「渡職人(わたりしょくにん)」と呼ばれる、非常に腕の立つ人たちがいました。

たとえば「旋盤の技術に関しては俺は日本一だ」と思っている人達がいて、その「渡職人」たちはより有利な仕事を求めて、いろんな工場を渡り歩いていたんです。そういう人たちはどの工場に行っても大歓迎されて、高い賃金で働いていましたね。

山中:なるほど。現在でいう、腕の立つフリーランスのエンジニアやライター、デザイナーかもしれない。

ここまでのまとめ

不安定な「請負」の仕事を支えた、家族や地域の人間関係

小熊:ただ、昔の日本人の多くは、そういった労働だけで生きていたわけじゃないんです。賃金も低いし、先の保障もないわけですから。

山中:現在の派遣社員やフリーランスの方にも似た状況の方は多いですよね。では昔の「請負」の人たちは、どうやって生活を成り立たせていたんですか?

小熊:家族関係や、地域の人間関係に頼っていたんですよ。

いまでもそうですけれども、一人の稼ぎ手の賃金だけで家族全員が生活している人は、それほど多くない。おそらく全就労者の3割を大きく超えたことはないでしょう。残りの人たちは、世帯のなかで複数の人が働いていた。男性の賃金だけでは足りないので、女性が働くわけです。場合によっては、子どもも老人も働く。

たとえば農家の女性は、個別の仕事を請け負って、家庭内で内職をすることが多かった。雑貨や繊維製品を作って、一個いくらで納品するわけですけども、単価はものすごく低い。それでも、自分たちの食料を自分たちの農業で作り、また夫が農業や出稼ぎや請負の仕事でお金を稼ぎ、娘や息子もいろいろな仕事をして、全員の収入を合計して生きていた。

小熊英二 左向き

山中:農家の副業として「請負」の仕事をしていたと。

小熊:いいえ、本業か副業か、なんて風には分けられないですよ。その年によって農業が不況だったら請け負う仕事を多くしたでしょうし、農業が好調だったら減らしたでしょう。育児が忙しい時期なら請負の仕事を少なくしたでしょうし。

山中:ああ、なるほど。あるひとつの仕事の収入で生活が成り立つことを前提に、仕事を「本業/副業」と分けるのは、いまの会社制度ができた現代になってからのことなんですね。

小熊:そういう風にもいえるでしょう。そして当時、年によって収入が変動する不安定な暮らしでも成り立っていたのは、地域の人間関係があったからです。

たとえばみんなでお金を出し合って、冠婚葬祭など、個人が困った時にそのお金を利用する「無尽(むじん)」と呼ばれるようなシステムを発達させてきました。山梨では特にさかんで、江戸時代の落語なんかにもたくさん出てきますね。

山中:つまり、戦前は会社で雇用されている人以外に、家族関係や、地域の人間関係のなかで生きていた人たちもいた

小熊:むしろそういう人がほとんどだったと言った方が正しいですね。

1920年に日本で初めて国勢調査が行われ、その後に政府はいろいろな調査をしたのですが、「正規の職員・従業員」という分類ができたのは1982年からです。有業の人の区分としては、「仕事が主な者」「仕事が従な者」というものが使われていました。

たとえ収入が多かったとしても、家事が中心だと思っている女性は「仕事が従な者」と分類されたでしょう。また農業以外の収入が大部分であっても、農業をやっていれば「兼業農家」と分類されたでしょう。

そういう統計のとり方が象徴するように、一つの仕事だけで生きていた人はむしろ少なかった。高度成長期以前は、農業をやりながら、内職や建設で一時的な仕事を請負ったり、あるいは出稼ぎで一時的に期間工になっていた人が多かったんです。それらの一つひとつは、それだけで生きていけるような仕事ではない。家族や地域の協力関係で、それらの収入をかき集めることで成り立っていた。

畑

小熊:ただし、これは会社勤めでも原理的には同じです。企業は産業の一部を分業して請負い、企業のなかの個々人はその企業が請負ってきた仕事の一部を分業しているわけです。一人で生きているわけではなく、企業のなかの関係性や、企業がその産業や社会のなかで維持している関係性のなかで生きている。

企業との関係が継続的契約だと「雇用」になり、それが一回ごとだと「請負」に分類されるわけですが、どちらにせよ関係のなかで生きていることに変わりはない。

要するに、ある種の社会関係、もう少し専門的な用語を使えば「社会関係資本」、つまり信頼関係や社会的ネットワークを含めた人間関係をどこから得ているのかという話です。

会社から社会関係資本を得ている人たちと、地域や家族から社会関係資本を得ている人たちがいた。ただし、そのどちらからも得られない人はいつの時代もいて、そういう人には貧困に陥る人が多かった。このように整理すれば話は分かりやすいでしょうね。

山中:現代のフリーランスと直接つながるかはわからないですが、「請負」で働いていた人々にはシンパシーを感じます。

小熊:「請負」で働いていた人のなかにも、高度成長期以後になると「雇用」を選ぶようになった人も少なからずいました。その一番大きな理由は、社会関係と生活の安定があった方が良かったから、ということだと思います。

山中:組織に雇用された方が生活が安定するということであれば、「雇用」を選ぶのは自然ですよね。

小熊:しかし1950年代くらいまでは、「終身雇用」や「年功序列の賃金システム」、そして「新卒一括採用」といった雇用慣行は、一部のエリートだけに適用されていたんです。

継続的な雇用を提供できるような企業も、それが保障されるような人も、それほど多くなかったからです。大企業であったとしても、会社の中で、ホワイトカラーとブルーカラーで格差があった。戦前は、前者は継続雇用で年功賃金、後者は雇用保障もなく昇給もない、というのが通例でした。

それが戦後の民主化運動の中で労働組合が組織されると、「同じ会社の労働者はみんな平等であること」を会社と交渉し、実現していきました。そこで「終身雇用」をはじめとする雇用慣行も、社員全員に適用されるよういなっていった。しかしそれが実際に広く実現したのは、高度成長期なってからです。

労働組合がある会社に雇用されていたほうが、明らかに労働条件がいいし、賃金も高いし、社宅とか社会保障もある。となったら、会社で雇用される方を選ぶようになるのは当然のことだったろうと思います。

ここまでのまとめ2

約3割の「大企業型」のためのしくみが維持されてきた

小熊英二 日本社会のしくみ

山中:戦後になって現在に近い正社員中心の雇用形態が生まれたことがわかりました。小熊さんは著書『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』のなかで、さらにその後の変化も分析されていますよね。

小熊:そうですね。簡単に説明すると、著書では現代の日本の生き方を「大企業型」「地元型」「残余型」の3類型に分けて説明しました。

大企業型 地元型 残余型

山中:「大企業型」が日本社会の多数派だとイメージしがちですが、実はそうではないのですよね。

小熊:そうです。2017年のデータをもとに推計すると、「大企業型」が約26%、「地元型」が約36%、「残余型」が約38%。このうち「大企業型」の割合は1982年から2017年まで、2割強から3割弱で、ほとんど変化がありません。非正規労働者は増えていますが、それは自営業が減ったからで、正社員が減ったからではない。

就業地位別推移

小熊:ただ、この2割強から3割弱の「大企業型」の人たちを基準に、日本の雇用形態や働き方、社会保障の仕組みがつくられ、それは1970年代はじめに完成し、現在まである程度維持されてきたんです。

山中:いまもその「大企業型」中心の「社会のしくみ」が継続している、と。

小熊:ある意味ではそうです。「大企業型」の人たちにとってみれば、正社員の数も減っていないし、年功序列もある程度は維持されているので、あまり変化を感じない。

しかしそれ以外の約7割の人たちにとっては、自営業が減って非正規が増え、地域社会の安定が低下して、貧困が増え、大きな変化がありました。非正規労働者には、企業との安定的な関係性はない。それでも地域社会や家族の関係が安定している人はまだいいですが、どこにも安定的な関係がない人もいる。そういう人は貧困に陥るリスクが比較的高いわけです。

ここまでのまとめ3

2025年までに大幅に社会は変わらない

山中:お話を聞くなかで、たしかにフリーランスは定義があいまいで、3つの類型のどこに位置づけるかは難しいなと思いました。でもなんとなく、「大企業型以外の7割」に入りそうですね。

だからこそ、現在も社会の仕組みは大企業型の約2〜3割の人をもとに決められていると知ると、今後もフリーランスとして生きていくことに不安を感じてしまいます。

この連載では、超高齢化社会に突入する2025年をひとつの区切りとして、「2025年までフリーランスとして働けるのか」を探っているのですが、それまでに社会のしくみは変わっていくんでしょうか?

小熊:2025年というと5年後です。今回の新型コロナウイルスの問題で、企業の働き方が大きく問い直されていて、いろいろ変化もあるでしょう。しかし、雇用や社会保障のシステムが、そんなに短期間で激変するとは想像しがたい。

歴史を振り返ると、あるシステムが動揺したり、壊れたりということは、何らかの衝撃や不況などで起こりうる。しかし、新しいシステムを作るということが、一朝一夕で成し遂げられることはあまりない。

東京タワー

小熊:日本の歴史をみても、他国の歴史をみても、何らかの衝撃で過去のシステムが壊れる時は、たいてい格差が開き、力のある者が有利になる。今後の新型コロナウイルスの問題でも、リモートワークが進んだのは大企業が中心で、そのなかでも以前から準備を進めていた企業です。

これを機会に不況がくれば、まず自営業やフリーランスが困り、非正規雇用の解雇が進む。つぎに中小企業の雇用が不安定化し、さらには経団連などがもともと進めたがっていた解雇の自由化や、新卒一括採用の絞り込みなどが進む可能性がある。

新卒一括採用や年功制は維持するけれども、それを適用する人数を大幅に絞りたいというのは、ずっと前から経団連の主張でした。システムが壊れる時というのは、もとから力のある者が、もとから準備していたことを進めるという形の変化が、起きることの方が多いのです。

山中:社会的にまだ少数派であるフリーランスに有利な変化が起こるとは、なかなか言い難いのですね。

小熊:もちろん、これを機会に一部のベンチャーや技術者、たとえばリモートワークや電子決済などを扱っていた企業などは、好機を得るかもしれません。しかしそれは、別の意味でもともと力を持っていた者であるわけです。

日本の過去の例でいえば、1970年代の石油ショックの時期には、高度成長期にできた日本型雇用の劣化が進みました。たとえば、かつての年功賃金よりも40歳になって得られる賃金が少ないとか、雇用は保障されるけれども子会社出向だとか……といったように。

今回のコロナウイルスの事態のあと不況になれば、現在と同じシステムが劣化していく未来のほうが、容易に想像できます。とくに労働者の側が、黙っていて何もしなければ、その可能性のほうが高いでしょう。

山中:フリーランスを支える法整備などは期待できないでしょうか。

小熊:それはもちろん、やったほうがいい。しかし、黙っていても政府がやってくれるなんてことはない。

また「政府が法律として決めれば、実態がただちに変わる」なんてことはありえないですよ。有名な話ですけど、日本の法律には「終身雇用」なんてどこにも書いてない。慣行として一部のエリートにあった雇用形態を、戦後の労働運動がもっと広い労働者に適用するように闘ったから定着したものです。

解雇の規制にしても、いろいろな裁判闘争の結果として、1970年代に裁判の判例として定着した。そのことから考えても、国会で決めて法律に書けば、労働者が何もしなくても社会に定着するわけじゃありません。

山中:なるほど……。

小熊:社会の変化というのは、もっと小さな変化が蓄積しておきるものです。

たとえば5年後、職種ごとに横断的なつながりができているといったことはおきるかもしれない。いまでもシステムエンジニアや介護労働者は、企業単位の雇用の安定性がほとんどなくて、同じ職種のまま企業を移動して働くようになっているでしょう。

フリーランス同士のつながりや、職種ごとのつながりができて、仕事を紹介したり労働組合のような機能を持ったりする未来は、ありえるかもしれません。そういうものが蓄積してくると、法制度はあとからついてくることもあります。

山中:たしかに、この連載でも紹介した「フリーランス協会」や、「NEWS」のようなギルド組織など、フリーランスの相互扶助の取り組みはすでに生まれています。そうした取り組みが増えることは、法律や制度が変わるよりもイメージしやすいですし、現実的ですね。

ここまでのまとめ4

フリーランスも、関係のなかで生きていく存在である

街並み

山中:では、2025年までに大幅に社会は変わらないなかでフリーランスとして生きていくために、個人のレベルでできることはあるでしょうか。

小熊:単純な話として、人間は太古の昔から、ひとりでは生きていけないということは認識したほうがいいと思います。

山中:人間は、ひとりでは生きていけない。

小熊:ひとりで生きられない部分を、なんらかの社会関係に頼っているわけです。

ここまでの話も、ある人は会社における社会関係に頼り、それ以外の人は家族関係や地域関係の中で助け合って生きてきたということです。

戦前の日本にも、フリーランスに近い人たちがいた。大企業や官庁勤めでなく生きていた人のほうが、ずっと多かった。しかしその人たちは、別の形で助け合って生きていたんです。

山中:誰もが、何かに頼って生きてきた。ですが「フリーランスは自己責任で、自分で能力を高めていくべきだ」という風潮も、少なからずあると思います。

小熊:能力は必ずおとろえる。病気になることもある。個人が30年、同じ能力を発揮し続ける絶対の保証はできません。ですから、例えば銀行が30年単位でお金を貸す際には、何らかの個人を超えた信用がないと難しいんですよ。

「今は年間1000万円稼いでます!」と言っても、「30年間もその能力を発揮し続けられるんですか?」と問われたら、わからないでしょう。

だからその個人を超えたもの、たとえばその人がどんな会社と安定的な雇用関係にあるか、担保として土地を持っているかなどが、融資の保証として求められるんです。「この会社や土地はこの人の能力が衰えても30年後も存在するだろう」という信用が担保になるんですね。

小熊英二 左前むき

山中:なるほど。結局、人間はなんらかの形で助け合って生きていかざるを得ないんですね。

小熊:市場経済が発達すると、その当たり前のことが見えにくくなります。貨幣を介在することで、他の人の労働に頼っていることが見えなくなりますから。でも、コンビニで買ってきた弁当だって、誰かが作ったものでしょう。

「自分はフリーランスのエンジニアで、人と関わることが苦手だから、パソコンに向かって仕事だけをしていればいい」という姿勢が成立するのも、さまざまな人が関わり合う巨大なシステムの中の一部として自分が存在しているから。それを忘れちゃいけませんよね。

ここまでのまとめ5

私たちは、誰とどういう関係を築くかを問われている

山中:フリーランスのなかには、人と関係を築くことが苦手な方も多い印象があります。

小熊:まあ、フリーランスの方の中でも社会関係資本の格差は生まれるでしょうね。私は地方移住者についてのフィールドワークを本にまとめたこともあるのですが、地方に移住して活躍するのも、人間関係を築くことが得意で大企業でも成功できるような人じゃないとむずかしいと思いました 。フリーランスも同様ではないでしょうか。

山中:社会関係資本の格差……。「関係性の貧困」と呼べるような状態にならないために、なにができるでしょうか。

小熊:自分はどの関係性に重点を置くのか考えて、人との関係を作ることではないでしょうか。

「自分は腕は立つれども人間関係は苦手だ」という人こそ、他人に頼っていることを忘れないほうがいいんです。ITやデザインの技術があっても、会社に所属したくない人は、経理部や営業部の支援に頼れない。会社の総務部に頼れないなら、病気になったときに、自分が国の制度や保険組合の知識を持っていなければならない。

よほど全方位に知識や営業力のある万能人ならともかく、信用のおける友人とか、技術者どうしのネットワークとかが必要です。あるいは家族のサポートに頼れるようにする。

「やっぱり家族や親戚と付き合ってくべきだ」とか、「同業者とできるだけSNSで交流しよう」とか、 「この仕事の賃金について交渉しなきゃいけないから組合を作ろう」とか、どの関係性に重点を置くか考えて選択することが大切です。

山中:自分をとりまく関係性について自覚的になるということですね。

小熊:それはフリーランスだからというわけではありません。私が一貫して言っているのは、人間という存在は、時代が違ったり職種や働き方が違ったりしても、誰もが人との関係の中で生きている、ということです。

その関係のなかで、自分はどれを優先するのかを考えて、選択する。つまり、作りたい関係性に即した生き方があるということです。そのことが分かっていれば、あんまり名称にこだわらなくてもいいでしょう。

山中:「フリーランス」という名称にもこだわる必要がないと。

小熊:そうだと思いますよ。繰り返しになりますが、自分が、誰と、どういう関係性を築いていきたいのか、ということです。

ここまでのまとめ6

進路相談室の扉は、みんなに開かれている

小熊さんが言うように、人間は関係性のなかで生きる存在。それは僕らフリーランスだって同じです。それを、やはりわずらわしいと考えて避けるのか、希望と考えて自ら関係性を築いていくのかは、一人ひとりに委ねられています。

そして僕は、「2025まで働けますか? フリーランスの進路相談室」の連載で様々な方に進路相談をするなかで、「フリーランスは、ひとりじゃない」という、希望のような気持ちを持ちました。

 

この連載は、一旦これでおしまいです。

ですが、進路相談は誰にでもできること。もしみなさんが、なにかキャリアのことで悩むことがあったら、同じように悩んだことのある人に、思い切って相談してみてはいかがでしょう。

悩む人と、かつて悩んだ人が話したら、そこが進路相談室。その扉は、誰にだって開かれています。

(執筆:山中康司 撮影、編集、アイキャッチデザイン:Huuuu)

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