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できないことは捨ててよし!会社が苦手なダメ人間へ贈る、フリーランスの生存戦略

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「フリーランス」と聞くと、「自由に」「自分の好きなことをして」「自分の強みを生かして」働くことを選んだ人たち、というイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。

 

かくいう私も、新卒3ヶ月目からずっとフリーランスとして生きているけれど、会う人会う人に「フリーランスなんてすごいですね!」と言われます。時に憧れの眼差しで、時に好奇の眼差しで。

だけど実際、私は「積極的にフリーランスになった人」ではなく「会社員ができなかった人」なんです。結果的にフリーランスになっただけ。

 

大学時代、「なんで就職する必要があるの?」という疑問から就活の波にも乗れず、卒業していく友人らを横目に休学して、いろいろな生き方をする大人たちに会いに行きました。

フリーランスという存在を知ったのはこの時だったけれど、何の経験もスキルもない私がそうなれるとは思えず、NPOに就職。けれど、あまりに仕事ができず、3ヶ月で退職することに。

 

そうして、私は「フリーランス」になりました。会社員になることができなかったから。

竹熊健太郎 腕組み

今回お話をうかがった竹熊健太郎さんは、そんな「フリーランスにならざるを得ない人」について言及した著書を書いています。

タイトルは、フリーランス、40歳の壁

フリーランス、40歳の壁 竹熊健太郎

胸に迫るタイトルです。まだ20代の私でも、「ドキッ」と「ギクッ」の間みたいな反応になります。

1980年からフリーランスの編集者として活動し、『サルでも描けるまんが教室(通称:サルまん)』『庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン』などのヒット作も持つ竹熊さん。そんなフリーランスの大先輩が言う「40歳の壁」という言葉は、とびきり重く感じられます。

 

フリーランスという生き方をしている人たちの中には、5年後10年後のキャリアのビジョンを描き、着実に進んでいる人もいるでしょう。

けれど、私のようにこのタイトルを見て「会社員になれずにフリーランスになったのに、フリーランスで生きるのも難しいの?」なんて、ギクッとしてしまう人もいるんじゃないかと思います。

 

「自由業にならざるを得なかった人」たちのフリーランス人生は、往往にして急に始まってしまい、その後の計画を立てるのも難しく、ハイリスクなものが多いはず。

それでも、そうしなくちゃ生きられない人たちは一体どうしたらいいの?

ということで、人生の先輩にアドバイスをいただきに行ってきました。

聞き手:中西須瑞化
聞き手:中西須瑞化

新卒で入社したNPOを三ヶ月で退職しフリーランスになった文筆家。のちに生育環境や発達特性によるさまざまな問題を自覚し、上手く自分と付き合っていく方法を模索中。

「アジール」から始まったキャリア

中西:竹熊さんといえば、大ヒットした『サルでも描けるまんが教室』の作者として、またオンライン漫画誌『電脳マヴォ』の編集長としてご存知の方もいるかもしれません。

まずは読者の皆さんのために、竹熊さんの経歴をざっとまとめてみました。

竹熊健太郎 プロフィール

中西:竹熊さんは20歳でフリーランスになったんですね。

竹熊:そうそう。僕のキャリアは、ある出版社で自販機本を作る手伝いから始まってます。知ってる? 自販機本。

竹熊健太郎 説明

中西:名前は聞いたことあるんですけど、見たことはないですね。

竹熊:当時は自販機で売る自販機本が結構メジャーだったんですよ。いわゆる自販機エロ本ってやつ。

で、そこからフリーの編集者になって、自分でも本を出したり、漫画評論家のような仕事をしたり、大学での講師業もやったり。いまはさっき挙げてくれた『電脳マヴォ』というWeb雑誌の編集長もしています。

電脳マヴォ

▲コミックス化された『良い祖母と孫の話』(作:加藤片)をはじめ、話題作をいくつも輩出している『電脳マヴォ』

中西:学生の頃からライターや編集業をされていたんですね。

竹熊:当時は大学生たちによるミニコミ(同人誌)ブームがあってね、学生時代からそうした冊子の企画や編集に携わっている人が多かったんですよ。

僕は専門学校に通っていたけれど、出版社から声をかけてもらったのを機に学校は辞めてしまいました。いまよりもずっと、出版業界で若者が活躍していた時代だったんだよね。学生が出しているミニコミが人気になって、大企業が広告を出すような。

中西:へぇ、すごいですね! いい時代だな。

竹熊:僕が出入りしていた編集部もね、なんというか「アジール」のような場所で。学歴とか関係ない世界で、まぁ変人ばっかり集まってたんですよ。メチャクチャだったけど、面白かったね。

中西:「アジール」というと、聖域や自由領域、避難所みたいな意味をもつ言葉ですよね。私は生まれたのが1991年なので、その当時の気風というのはすごく興味深いし、少し憧れます。

竹熊:あぁ、いまとは全然違うと思いますよ。たとえば「フリーター」って言葉も、「会社に縛られない自由な生き方をする人」という肯定的な意味で世間に広まっていたしねぇ。

中西:いまでいうフリーランスだ!

「フリーランス40歳の壁」とは

中西:竹熊さんの著書の『フリーランス、40歳の壁』は、そういう私が知らない時代のフリーランスの話もあってすごく面白かったです。

竹熊:時代が違うからねぇ。いまの人は知らないことも多いでしょう。

中西:竹熊さんは、著書のなかで「フリーランスは憧れてなるものではなく、なるべくしてなってしまうもの」とおっしゃっていますね。

竹熊:そうですね。実はあの本、本当は『ダメ人間のためのフリーランス入門』というタイトルにしたかったんですよ。出版社に「さすがにダメだ」って言われたんで、いまのタイトルになりましたけど。

中西:ダメ人間って表現、好きですけどね(笑)。著書の中にある「自由業にならざるを得ない人」という言葉と同じ意味合いですか?

竹熊健太郎 のぞく

竹熊:そうそう。フリーランスには、もちろん実績を積んで計画的になる方もいるんだけど、否応なくならざるを得なかった方も一定数いるんじゃないかな。大学に行かず、就職もせず、20代でフリーになった僕みたいに。

中西:私もそうです。新卒で入った組織に馴染めず、3ヶ月で退職して、フリーランスになりました。

竹熊:ほぉ、そうなんですか。

中西:ルーティンになっていく生活だったり、膨大なマルチタスク、「暗黙の了解」みたいな曖昧なものに対して順応できなくて。頭の中がずっと焦燥感に満たされていて、上司からの指示の意味がよく理解できないような状態でした。

竹熊:うんうん。

中西:だから在職していた間、私のデスクはミスをしないように貼った付箋のメモでびっしりと覆われていて。どうしてこんなにも仕事ができないのかわからずに、毎日トイレに隠れて泣くような日々だったんですよね。

竹熊:わかります。僕も、ふたつの重要な仕事が重なると、どちらかの仕事が遅滞するか、最悪どちらも遅滞してできなくなるんだよね。あとは、40年近くフリーランスをやってきましたけど、いまだに確定申告は白色。領収書を整理できないんです。

中西:確定申告、大変ですよね……。

竹熊:こういう特性があって、否応なくフリーランスにならざるを得なかった方って、年と共に「壁」にぶつかる確率が高いんです。

中西:著書には40歳の壁として「過去に評価を受けた仕事と似たような仕事ばかり依頼がくる(ことに嫌気が差す)」「依頼元が年下になっていく(ことで仕事が振られづらくなる)」ということがありましたが、これもなるほどなぁと思いました。

竹熊:まぁ、前者に関してはそこで断っちゃうからダメなんだけどね。後者に関しては、40歳くらいになった多くのフリーランスが直面する問題なんじゃないかと思います。

「フリーランスにならざるを得ない人」であることに気づいたきっかけ

竹熊:それに、否応なくフリーランスにならざるを得ない方には、発達障害(※)の特性を持つ方も多いですね。

※生まれつき脳の発達に障がいがあることで対人関係に問題を抱えたり、仕事や家事をうまくこなせなかったりといった障がいがあることの総称。たとえば、不注意・多動性・衝動性の特徴が現れる「注意欠如・多動性障害(ADHD)」や、対人関係が苦手・強いこだわりといった特徴をもつ「自閉症スペクトラム障害(ASD)」などがある。

中西:竹熊さんご自身も、著書でADHDであるということを書かれていますよね。

実はわたしもADHDとASDの診断が出ているので、この本はすごく共感できたし、そんな特性を持つフリーランスが「壁」を乗り越えるためのサバイバル術を本気で聞きたいと思って、いまここにいます(笑)。

中西 説明

竹熊:あれ、そうなの? ADHDとASD両方?

中西:はい。わたしもつい最近までわかっていなくて、だけど仕事や生活に支障が出ていたこともあり、病院に行って診断を受けました。

竹熊:へぇ、そうなんですか。まぁこうした特性ってグラデーションで、人によって色々ですからね。

僕は大学教授をしていた時に、大量の事務仕事が全然できなくて。まわりに迷惑をかけてしまうし、だんだん心の状態も悪くなっていってしまったんです。どうにかしないと、と思って色々と調べるうちに、ADHDなんじゃないかという疑惑をもって病院に行ったんだよ。

中西:いまいる環境で、「仕事があまりにできない」「コミュニケーションでどうしてもトラブルが起こる」などの苦しい状態にいる人は意外と多いと思うんですが、そこから「診断に行く」という発想になる人は少ないですよね。

竹熊:少ないね。僕も最初は「自分の能力不足だ」と思って、「何事も経験だから」と苦手なことも頑張ろうとしていました。

中西:そこから、自分の能力ではなく、生まれ持った特性によるものではと思えたのはなぜですか?

竹熊:いやぁ、できないもんはできなかったからなぁ。

中西:(笑)。

竹熊:インターネットとかにも簡単な診断ができるサイトがあるでしょう。あれをちょろちょろっとやってみて、「もしかして」と思ったら病院に行ってみたらいいと思いますね。

中西:診断を受けて、「できないもんはできない」って自分の特性が分かると、そこからどうするか考えられますしね。私も診断を受けて、「自分をうまく扱うための情報が増えて嬉しいな」って思えたなあ。

苦手を克服する努力をするのは20代まで

竹熊健太郎 手をパー

竹熊:僕らみたいなタイプの人間が「自分のできないことをできるようになろう」って努力が必要なのは、20代までだと思うんですよ。

中西:30代以降は努力しても意味がないってことですか?

竹熊:うーん。というより、仕事を見定めて取捨選択をすることが必要になってくる感じだな。

フリーランスは自分で仕事を選べるんだけど、色々な案件に対して「やる・やらない」を自分で決めなくてはいけないともいえます。そういう時に、「経験になるかな」と思って苦手なことやあまり気乗りしないことも引き受けるのは、20代まででいい。

気乗りしない仕事で、「でも、これをやっておけば次に繋がるかもしれないし……」と思うことってありませんか?

中西:あります!

竹熊:だけど、気乗りしない仕事って、たいてい受けたところで気持ちも乗らなくて、あまり良い結果がでないんだよ。

中西:あぁ、確かに……。

竹熊:僕の仕事でいくと、『サルまん』はすごく楽しかった仕事。編集者とも相性が良くて、自分のやりたいことだったので気持ちよく進めることができた。だからやっぱり、いまでも代表作と呼ばれていたりしますね。

サルまん

▲作者である竹熊さんと相原コージさんがキャラクターとして登場し、二人で漫画を描いていくストーリー。漫画入門書の体裁をとっているものの、パロディやメタ表現を取り入れたギャグ漫画として人気を博した。写真は2006年に発売された新装版

中西:なるほど……。案外、「無理に頑張る」ことで得られるものは少ないのかもしれない。取捨選択できる力は大事ですね。めちゃくちゃ苦手ですけど……。

竹熊:僕はADHDであることを知ったのが50代以降だったので、「もっと早く知っておけば違う選択ができたかもしれない」という気持ちがあるね。

好きなことや得意なことを伸ばすぞ、と振り切れていたら、一年くらいかけてしまったあの仕事は引き受けなかっただろうなぁ、とかね、思いますよ。

中西:人生の時間の振り分け方ということでしょうか。刺さりますね。

竹熊:もしもADHDだった場合には「努力でどうにかなる話じゃない」ってことも多いですし。そうでなかったとしても、できることやできないことを把握して、できないことはもう割り切って、誰かに頼るほうがよっぽど時間の使い方としていいんじゃないかと思いますよ。

探すべきは「いい相棒」

中西:確かに、得手不得手の激しい私たちのようなタイプこそ、自分について把握するというのは本当に大事だなと思います。

とはいえ、「誰かに頼る」ということが苦手な人も多いんじゃないかなと思ったのですが、竹熊さんはどうですか?

竹熊:「誰か」というのは、もちろん専門家にお金を払って頼む方法もあるけど、「いい相棒を見つける」のが大事かもしれないね。

竹熊健太郎 考える

中西:いい相棒。

竹熊:たとえばスタジオジブリの宮崎駿さんには、プロデューサーの鈴木敏夫さんという最高の相棒がいました。『エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』を手がけた時の庵野秀明さんにも、映像監督の樋口真嗣さんという相棒がいた。

僕でいえば、書き仕事をするときの編集者がそうです。同時並行で物事を進めることができない僕は、締め切りの催促を上手に仕掛けてくれる編集者がいないと、多分仕事ができていません。

中西:自分と違う「得意」を持った相棒と組むということでしょうか。

竹熊:そうだね。それができれば、僕のような特徴のある人でもいい仕事をしやすくなるんじゃないかな。

中西:なるほど。フリーランスだからこそ、相棒探しが重要なのか。

竹熊:相棒を見つけるにはもちろん運もあるけど、できるだけたくさんの人と付き合って、自分が「才能がある」と思った人は大事にすることですね。

相手が新人であれ、干されている人であれ、才能には関係ない。むしろそのほうが、相手から手を差し伸べてもらえるチャンスがあるともいえるでしょう。

自分の得意目録を持つことが生存確率を高める

中西:私は完全に「ならざるを得なかった」タイプのフリーランスで。企業で修行して貯金もしてから、よし独立するぞ!とフリーランスになった訳ではありません。

ADHDの特性もあって計画を立てることは苦手だし、30代40代とどうしていけばいいのか、正直まだまったく想像がつかないのですが…。

竹熊:著書でも何人か紹介していますけどね、僕の知り合いで成功しているフリーランスというのは、大抵30代でベストセラーやなんらかの賞を受賞した作品といった「自分の代表作」を作っています。そうすると、だいたい10年は食べていけるようになるんじゃないかな。

竹熊健太郎 元気

中西:べ、ベストセラーですか。

竹熊:受賞までしなくともね、「この分野ならこの人」というような実力のあるフリーランスは、何かしらの代表作を持っていることが多いです。

代表作をつくるためにも、自分の得手不得手を理解して好きなほうに振り切るということと、それに良い相棒を見つけること。僕らみたいなタイプのフリーランスは特に、自分をサポートしてくれる周囲の環境を整えることが大切なんだなと思いますよ。

中西:できないことを捨てる勇気も大切ですね。

竹熊:できないもんはできないからね。

中西:そこの見極め、難しいなぁ(笑)。

竹熊:あとは、中西さんのようにまだ若いフリーランスの方は、自分の得意領域の目録を作ってみたりするのもいいかもしれない。

中西:目録ですか?

竹熊:「これだけはそう簡単には人に負けないぞ」というキーワードを出していって、それを眺めて「これとこれを組み合わせたら何かできそうだな」みたいなことをね、考えるんです。

もしも自分には突出した才能がない、となったら、周りの突出した才能がある人をサポートする側に行くのもいいと思います。

中西:確かに。私のように急にフリーランスになってしまった人も、一度改めて得意なことを整理してみるのはいいかもしれないですね。

竹熊:あとは繰り返しになるけど、いまいる環境が合わなかったり、対人コミュニケーションや仕事で「おかしいなぁ」と思うことが多い人は、自分のことを知るために心療内科や精神科で発達障害の診断をしてもらうのも手です。

僕は診断を受けずに50年も回り道をしてしまって、もったいないことをしたなぁって思いますから。同じ失敗はせず、若いフリーランスの人たちは時間を有効に使うのがいいんじゃないかな。

中西:なるほど…! 今日のお話をまとめると、否応なくフリーランスにならざるを得なかった人のサバイバル術は、

  • 診断などを通じて、自分の得手不得手を知る
  • 得意領域の目録を作る
  • 相棒を見つける
  • はやめに代表作を作る

ということがありそうですね。

 

自分で自分を把握して正しく扱っていくのは大事だなとここ数年思っていたのですが、今日のお話でやっぱりそうだよなぁと実感しました。

いただいたアドバイスを参考に、フリーランス人生をサバイブしていけるようになりたいです。竹熊さん、ありがとうございました!

(執筆:中西須瑞化 撮影:山中康司 編集:山中康司、Huuuu)

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