【社労士解説】ジョブ型雇用時代におけるフリーランスの生存戦略とは?
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「フリーランスは専門性が必要な時代」と言われることが多くなりました。でも、専門性とは、いったい何なのでしょうか。わたしはライターをしていますが、グルメに旅行におもしろ記事まで、書けそうなものは何でも手当たり次第に書いています。自分の専門性って何だろう……そんな悩みを持つフリーランスも少なくないはず。
そんなとき、ふと気付いたのです。「ニッチでオンリーワンなお仕事をしている人の生き方に、専門性を身につけるヒントがあるのでは?」と。
今回お話をお伺いしたのは、日本で初めてプロのオブローダー(廃道探索者)として生計を立てている平沼義之さん。失礼な話ですが、正直「どう稼いでいるのか」がまったく分からない職業です。そんな平沼さんにお仕事について聞いたら、「営業はしない、ライバルを見ない、他のものに浮気しない、妥協しない」と返ってきました。
1985年生まれのフリーライター。道路オタクで、「山さ行がねが」を10年以上にわたって愛読している。現在はねとらぼ交通課にて「険道」と呼ばれる荒れた県道を巡る連載も手掛ける。(Twitter:@raira21)
目次
少年B:
平沼さんは、2000年から「山さ行がねが」というウェブサイトで廃道や廃線跡、林道に未成道(作りかけたまま放置されている道路)などの探索レポートを行っていますよね。自己紹介には日本で初めてのプロ・オブローダー(廃道探索で生計を立てている人)と書かれていますが、どのようなお仕事を手がけているのですか?
平沼:
お金を稼ぐ手段を仕事と呼ぶなら、最も割合が多いのは「山行が」サイトの広告収入です。でも、好きなことを好きなように書いているだけなので、自分では「これが仕事だ」という意識はまったくありません。
逆に、私の中で「これは仕事だ」と感じるのは、人から依頼されて行うこと全般ですね。媒体への寄稿や、取材を受けたりするような……。ギャラの有無はあまり関係なくて、仕事は人に評価を受ける前提なので、どんな内容でもプレッシャーを感じます。逆にそれ以外の探索や執筆は、人一倍マイペースにやっていると思います。
少年B:
なるほど、仕事という意識がないからこそ楽しく続けられているんですね……! そんな平沼さんが廃道めぐりを始めたきっかけは何だったんですか?
平沼:
道路に興味を持ったきっかけは、小学生のころに連れてってもらった家族とのドライブです。私は幼いころに秋田に移り住んだので、基本的に移動は車なんですが、どうしても道路を移動する時間が長いんですよね。
少年B:
地方だとどうしてもそうなりますよね。東京みたいに電車もそこまで走ってないですし。
平沼:
ちょっと変わってるのかもしれませんが、私は観光地よりも、道路への興味が強かったんです。「あの道デコボコでドキドキしたな」とか、「トンネルがたくさんあってわくわくしたな」とか。
少年B:
あーっ! わかります。行くまでの道のりが楽しくなってしまうやつですね。
平沼:
そうですそうです。くわえて私は険しい山道や砂利道のようなワクワクする道が好きだったんですけど、両親は嫌がって通ってくれなかったんですよね(笑)
そこで、「あの日通れなかった道を、いつか自分でまた見たい」って気持ちが芽生えていたんだと思います。中学生になってマウンテンバイクを手に入れてからは、行動範囲が広がったので、気の合う友達と山道をよく走り回っていましたね。車じゃ絶対通れないような荒れた道を駆け巡っていました。
少年B:
中学生のころから、もう今のような探索をされていたんですね……!
平沼:
荒れた道の先を確かめることで、好奇心や冒険心を満たしていたんです。当時は周囲の同級生とも馴染めず、満たされない気持ちを常に抱えていたんですが、この冒険が自分を満たしてくれたし、当時から自分の居場所になっていたと思います。
そうして山道を駆け巡る生活をしていたんですが、1998年ごろにインターネットで「廃道」とか「旧道」という言葉を使って、使われなくなった道路を紹介している人たちを見つけたんです。そこで初めて、「道路探索」という趣味があることに気付いたんですよ。
少年B:
??? それまでは探索という趣味に気付いていなかったんですか?
平沼:
それまでは「そこに行くこと自体」が目的だったし、ほとんどの人にとってそこがどんな道かなんて、役に立たない情報だと思っていたんです。なので、「これを趣味として発表してもいいんだ!」と衝撃を受けたんですよ。
あと、当時見ていたサイトは「この先は危険だからやめよう」とか「これは無理だ」って言葉がよく出てきていたんですが、当時の私は自転車に変な自信があったものですから「自分ならもっと奥に、もっとヤバい道に行けるんじゃないか?」と思ったんです。そして、その成果を発表する自己表現の場としても興味を持ちました。
少年B:
そんな平沼さんのレポートの特徴といえば、探索後の机上調査です。ただ現地を探索するだけでなく、地元新聞や郷土史などを徹底的に調べて、その歴史や実態を伝えていますよね。
平沼:
それはたくさんの廃道を巡り、発表を続けるうちに、一つの壁を感じた時期があったからなんです。
当初の私は廃道での冒険感を前面に押し出して、今にも崩れ落ちそうな橋や「もはや壁だろ!?」って言いたくなるような急勾配の道路に挑んでいました。ある意味では、危険自慢のようになっていたんですよね。
でも、そうすると私も読者も、求めるものはだんだんとエスカレートしがちで。気が付くと、他の人が近づかないような、危険な廃道にばかり向かっていたんです。
少年B:
確かに、そうなるとよりスリルのある、危ない道路のレポートを求めてしまいますよね。前回よりも安全なところには行けなくなってしまう……。
平沼:
自分のスタイルが変わる直接的な転機となったのは2009年~2010年ごろの探索でした。「六厩川橋攻略作戦」や「無想吊橋」、「千頭森林鉄道奥地探索」では危険な目に何度も遭い、このままではヤバいと感じたんです。プロの登山家だって何人も亡くなるのに、私はただの一般人。このままでは近いうちに必ず死ぬだろうな、と……。
少年B:
当時、これらのレポートはワクワクしながら読みましたが、その一方で「この人、いつか本当に死ぬのでは???」とも思っていました。ご本人もそう感じていたんですね……!
平沼:
はい。でも、「最近つまんなくなったよね」「オワコンだね」と言われるのは嫌じゃないですか(笑) だから、自分の命を張る以外の分野で、サイトとしてのアイデンティティを持ちたいと思ったんです。
少年B:
クオリティを下げることなく、「冒険」だけではない方向性に変えたんですね。
平沼:
はい。廃道には冒険以外にもたくさんの魅力があります。どんな道にも、その道だけの歴史がありますよね。私は「栄枯盛衰」という言葉が好きで、かつては栄えた道が落ちぶれてしまった落差にとても惹かれるんです。
この道はなぜは生まれ、どうして廃れたのか……。その歴史はオンリーワンですし、そこを調べて書き残すことで、私個人の冒険談や体験談にとどまらない、資料的な価値が生まれると感じたんです。廃道を探索しただけだと歴史は分からないことも多いので、図書館通いが、私のもうひとつの探索の場になりました。
少年B:
なるほど……!
平沼:
そしてもうひとつ大切にしていることは、土木技術的な側面から廃道上にあるさまざまな構造物を読み解いて解説することです。冒険、歴史、技術、この3つの廃道の魅力を余すことなく伝えたいし、ひとりでも多くの読者に廃道の魅力を伝えたいんです。
仮に、冒険にしか興味がない人にも、その他の魅力の存在を伝えて、その魅力を感じてもらえたら嬉しいですし、私は廃道の魅力の一番の代弁者になりたい。そういう高い目標を持って、探索と執筆を行うように心がけています。
少年B:
そうやって自分のサイトをどんどんどうやって充実させていった平沼さんですが、廃道探索で食べていけるようになったのはなぜですか?
平沼:
個人的にありがたかったのは、NHKの番組で「廃道探索者」として紹介されて、メディアの方に認知してもらえたことですね。そこから仕事の依頼も徐々に増えて。でも、今も昔も収入はほとんど、サイトの広告に支えられていますね。
少年B:
サイトの広告収入だけで生活費を稼げるのすごいですよね……!
平沼:
でも広告収入は少しずつしか増えないので、しんどい期間も長かったですね……。廃道のために脱サラしてからは短期のアルバイトをしたり、パチスロをしたりして生活費を稼いでました。資金が尽きる前になんとか金を稼がなきゃいけないけど、廃道のこと以外に時間を使いたくないし……という状況でしたね。
少年B:
最初はかなり崖っぷちだったんですね! その後、どうなったんですか?
平沼:
まずは記事執筆の仕事を考えたんですが、コネもないし、出版社に持ち込むような勇気もない。とにかくサイトの記事を充実させることを最優先にしていました。
少年B:
サイトを有料化する、といった方法は考えなかったんですか?
平沼:
当時はインターネットでお金を稼ぐと「何だ、趣味じゃないのか! お金のためにやってるのかよ!」と叩かれるような風潮が強くあったので、そこはあまりお金を意識させないように、無料で誰もが見れるようなサイト運営をしていましたね。
お金のためと思われてしまったら、読者からは色あせて見えてしまうと思ったし、そう見られてしまったら自分もやる気をなくしてしまうと思ったんです。
少年B:
ああ、その空気感わかります。00年代はまだ「好きなことで稼ぐ」ということに拒否感も強かった時代でしたよね。
平沼:
でも、そのころからアフィリエイトなどの広告掲載というマネタイズ方法が出てきたので、本当にありがたかったですね。ただ、最初の収益は月1000円とかで、当然家賃すら払えませんでした。なので仲間たちとPDFの同人誌を作って、ネットで売ったりもしてたんです。最盛期は500冊くらい売れたので、なんとか家賃くらいは稼げるようになりました。
少年B:
いまでもその同人誌は続けているんですか?
平沼:
いえ、もうやめてしまいました。無料で読めるサイトよりクオリティの高いものを書かなければならないというプレッシャーがものすごくて。それでも、購入してくれるお客さんはどうしてもサイトの読者に比べれば、はるかに少ないわけですよ。
自分にとって「特に力を入れて書いたもの」は、やっぱり多くの人に見てもらいたい。その気持ちにどうしても折り合いがつかなくなってしまったので……。
少年B:
「探索したものを発表して、人に見てもらいたい」という気持ちが平沼さんの原動力なんですね。
平沼:
そうですね。なので劇的なことは何もなくて、何とか食べていけるようになったのはサイトの広告収入がだんだん増えていったからだし、メディアの人に気付いていただけたのも、長期間休んだり、他のものに浮気をしないで、20年以上ずっと廃道探索のサイトを更新し続けてきたからだと思っています。
少年B:
営業活動はどうされていますか?
平沼:
やってないんですよ。自分で「超ニッチ」なのを自覚していますから(笑) 「興味を持ってくれる人」はいるので、向こうからお願いされた仕事はもちろん受けます。でも自分から売り込んでも、ニッチすぎてなかなかOKされないと思うんですよ。だから売り込まないのは自己防衛でもあるんです。
少年B:
……? どういうことですか?
平沼:
私は売り込んだ相手から「おもしろくない」「こんなネタいらない」と言われることを極端に恐れているんです。廃道のことしかやりたくないと思っている人間ですから、そう言われてしまったら、自分の存在を全否定されているのと同じなんですよね。
相手から依頼されたのであれば、たとえ最終的に断られたとしても「条件が合わない」などの理由になるはず。私のやっていること自体を否定されることはありませんよね。
少年B:
なるほど……! 最初から興味がなければ近づいて来ないですもんね。では、そんなニッチなオブローダーというお仕事の苦労を教えてください。
平沼:
現地ですごくおもしろいと興奮した道でも、それを文章にする際はやはり生みの苦しみがありますね。通った道の魅力を、余すことなく伝えたいという気持ちがあるので、書くことはとても苦しいです。
かつては廃道探索自体が「趣味」でしたが、今は「人に伝えるためのもの」だと思っているので、記録への責任感は強いです。
少年B:
「人に伝えるため」のこだわりはどんなものがありますか?
平沼:
たとえば、歩くだけならそのまま進めばいいけど、「廃道の途中にある橋を入れて、きれいな写真を撮りたいな」と思うと、近くの斜面を登っていい写真が撮れるスポットを探したり、下に降りて橋の裏側を撮ることもあります。
本来「廃道を踏破するため」には必要のない労力なんですが、それは人に分かりやすく伝えるための苦しみかもしれません。でも、それも含めて私の廃道探索のスタイルだと思っています。今さら変えられないし、変えたくないですね。
平沼:
廃道探索は危険や不快と隣り合わせなので、探索中に妥協したくなることも多いんですが、「このレポートで読者の納得を得られるか」と考えると、びしょ濡れになろうが、蜘蛛の巣だらけだろうが、行くしかありません。「やりたくないからやらない」は避けて「やれないからやらない」まで突き詰めなければ……という、半ば脅迫観念的なものがあります。
でも、実際に妥協してしまうと後悔することが大半なので、これは苦労といえないかもしれません。むしろ、妥協しにくい環境を得られていることは、自身のパフォーマンスを維持するモチベーションの点において有利な部分だと思います。
少年B:
なるほど。伝えるためにやるからこそ、自分に妥協を許さないということですね。
少年B:
それでは最後に、平沼さんの考える専門性を教えていただいてもよろしいでしょうか? 「自分だけのスキル」を見つけたい人に一言お願いします。
平沼:
私は自分の専門性をみつけるために試行錯誤したわけではなくて、ひたすら好きなことを突き詰めた結果が今なんです。趣味への興味の高まりと、インターネットやアフィリエイト、Web広告といった仕組みが登場してきた時期が合致したことも、とても幸運だったと思います。
現在は昔以上に、個々人の持つニッチな分野での専門性が直接収入に結びつくサービスがたくさんありますよね。ブログやSNS、YouTubeなど、発表する場はたくさんありますから、好きなことをしっかり継続して発表していくことが大事なんじゃないかなぁと思います。
少年B:
確かに、発表する場が増えて、好きを仕事にしやすくなりましたよね。
平沼:
でも好きを仕事にするなら、自分の人生の大半を使って、それで食っていきたいかどうかは考えた方がいいと思っています。そういう情熱がないと続きませんから。
あと、私がもうひとつ大事にしていることがあって、それは自分からライバルを見に行かないことです。ライバルと自分を比較することは、毒でしかないと思うんですよ。自然と彼らのことが耳に入るのはやむを得ないですが、自分から相手のことを調べれば、だいたいは羨ましい部分や、自分の自信を失うような部分を、自然と探してしまいますよね。それは「自分が突き詰めたい分野への本来の興味」をゆがめてしまう。評価するのは第三者だけで結構だと思っています。
少年B:
確かに、「あいつはこんなことをやってるぞ!」って思うと、焦りや嫉妬、追随する気持ちが生まれてしまいますよね。
平沼:
自己防衛のためにも、あくまで自分の活動を大事にするのがいいんじゃないかなと思います。私自身もまだ道半ばで偉そうなことは言えませんが、丁寧な発信で同好者を増やしていくことが大切です。そのためには、説明不要の分かりやすい部分では思いっきり興奮を伝える一方、ある程度知識がないと楽しく読めない部分は、懇切丁寧に説明するようにしています。
また、自分が持ちたいファンの姿をイメージして、その方向に誘導することも大事です。危険な探索や冒険を求めるファンの声にばかり応えていては、命がいくつあっても足りません。そういう人たちにも歴史や技術の部分の魅力に気付いてもらえるように、地道に発信するのが大切かなと。
ファンの声はいろいろなことを気付かせてくれる存在だけど、自分がモチベーションを保ち続けることはもっと大切です。自己防衛をしながら、楽しく活動していくのがいいんじゃないでしょうか。
【記事のまとめ】
- 休まず浮気せず、ずっと好きなものを発信していくことが大切
- 自分から営業をしないことで、心の安定が図れる
- 人と比べず、評価は第三者に任せる
- 自分の持ちたいファン像のイメージを持ち、自分の発信を合わせていく
- 発信のモチベーションを保つことがもっとも大切
(執筆:少年B 編集:泉知樹)
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